給食は酢豚が好きだった

 好きだった給食のメニューは何だっただろう。小学生のころ、給食の献立表を見るのが楽しみだった。好きなもの、苦手なもの、普通のものをチェックしていくのだ。昭和40年代の話だ。一番うれしかったのは酢豚。家では食れないし味もおいしかった。豚肉の揚げた衣に甘酸っぱいたれがしみ込んでおいしかった。クジラの竜田揚げもおいしかったけど断トツで一番好きなのは酢豚だ。

 ほかに楽しみだったもの。地味なのだがおでんも好きだった。何が入っていたのか思い出せないけれど、たぶん、ちくわあたりかでん子供の頃は鶏肉をはじめ肉類全般がダメだった。すき焼きでも牛肉より、味のしみ込んだ糸こんにゃくや焼き豆腐のほうが好きな子供だった。だから、姉や兄が好きだったカレーも肉のにおいがして苦手だった。

 給食には、メインのおかずともう一品ついていた。リンゴやみかんのような果物の時もあれば小鉢風のおかずの時もあった。そのお皿に入っていた揚げ物も好きだった。ちくわの磯辺揚げやうずら卵を3個串に刺してあげたものやインゲン豆の天ぷらなどおいしかった。

 

 私は小学1年の時に母親をなくした。食事はだいたい父親が作っていた。ほとんどが焼き魚とほうれん草の炒めものだった気がする。あと土曜日はカワハギの鍋だったような。とにかく、小学校に上がってから普段のおかずで凝ったものはなかったと思う。だから今から思えば手の込んだ料理がうれしかったのかもしれない。

 

 昭和40年代。大阪万博のころ。若者はバブルの頃の贅沢さをうらやましがるが、その少し前は、日本全体がもっと貧しかった。私の両親も含めて戦中戦後の物不足、栄養事情が悪く治る病気も治らず死んでいく人もいた大変な時代を経験している大人たちはつつましかった。

 好き嫌いをいうものなら「空腹は最大のソース」から始まり、延々と子供のころのひもじかった思い出話を交えた説教が始まるのだ。

 

 私だけでなく、栄養こそ足りているが普段は皆つつましい夕食を食べていたと思う。だからこそ、みんな給食の献立表を覗き込んで自分の好きなおかずが出る給食の日を楽しみにしていたと思う。ある意味幸せな思い出だ。