日々、つれづれ

  最近、人のブログを読むことを覚えた。はてなブログのいろいろな検索機能を使って読んでみる。グループで探すのも楽しい。特に興味を持ったブログの最初の記事が面白い。始める動機などが書いてある。それからブログの構成の仕方も、書くことに重きを置くブログ。虎視眈々と収益化を目指すブログ。美しく、写真を取り入れているもの。人それぞれだな、と思う。

 

 1年に書く回数も毎日きっちり書く人。年間、30記事程度を淡々と書く人。記事の量も1500字ぐらい書く人からツイッター程度の短い記事を書く人まで様々だ。

 

 私といえば、最初は1000文字、毎日更新を目標にしていた。でも、毎日はきつい。1000文字書くことは結構エネルギーがいる。今まで旅行したことや読書の記録をつけたいのだがなかなか手が付けられない。

 

 この1年、目標とは程遠い結果だがとりあえず続けられたことは良いことだ。だらだら書いているだけでもひょんな心の内が出てきたり、我ながらうまい文章表現だと悦に入ったり(どこかで見かけたものを取り入れただけかも知れないが)、とにかく書くことで自分の生活にプラスになったと思う。実生活は去年はお金も時間もひたすら浪費をしていた。人生で一番怠惰に過ごした。ブログと怠惰が同時進行。まあ、余裕があるから続けられたといいように解釈しよう。そして、今年は無理をする必要はないが、充実した日々をつづれるようにしたい。

ライナスの毛布に考えてしまう

 今回、目に留まったお題は「あなたにとってのライナスの毛布」、スヌーピーの出てくるピーナツシリーズに出てくるライナスが肌身離さず持っている毛布、またの名を安心毛布というものだ。私にとって漫画に出てくるライナスの毛布の印象。小さな子供なら時々、見かける行為。それが寝るときの毛布だったり、枕だったり、ぬいぐるみだったりする。それ自体、もはや必要性はないし、他人から見れば小汚いゴミにしか見えないものだが、本人にとっては捨てられないもの。そして、ゴミにしか見えなかったものも、そのゆわれを聞くと納得したりする。

 

 人からすれば、捨てたらいいのにとか、買い替えたらいいのに、と思うもの。例えば洋服やカバンなどボロボロになるまで使ったり、買ったほうが安上がりなのに修理に1万円以上使ったりする。理由は、亡くなった人にお祝いで買ってもらったり、心配して買ってもらった物。会社でもレインコートを10年以上来ていた人がいた。登山用の丈夫なものではない。普通のスーパーで5千円までで買えそうなものである。来ている本人曰く「亡くなった母が買ってくれたものだから、ついつい捨てきれなく使っている」と。雨の日の通勤は憂鬱である。その時、母親の愛情を思い出すことが出来たら、気持ちも前向きになるだろう。捨てられない気持ち、私も理解できる。  

 

 その人にとって物自体の有用性は薄れても所有するすることがその人にとって有用性があって手放せないもの。その理由は、強烈に愛されたこと、慰められたこと、励まされたこと、自分にとって自己肯定に結び付くもの。

 

 なんだか、奥が深いぞ、このお題。自分にとっては、なんだろうと思いつつ、参考のためにほかの人のブログを見る。あかん❕全部見てみたい要求に駆られて、肝心の自分のブログが書けないではないか。こんなことは初めてである。簡潔に言えば、いま使っているものには、いわゆる道具的な側面と感情的な補佐をしてくれる側面がある。

 朝日新聞の投稿でもあった。断捨離といっても、人間なかなかものが捨てきれないのだ。80代の方が亡くなった妻の洋服などを捨てるときに躊躇した。結局、断捨離でなく、感謝離だ、と。捨てるのでなく感謝して手放していこう、そんな内容だった。ちなみに、この投稿は反響を呼び、この人のエッセイ本が「感謝離」という内容で出された。

 

 「私にとってのライナスの毛布」、具体的なものを挙げる前に、この言葉の持つ意味について、書きながら思案すること約1時間。私にとっては、意味深い言葉だった。

食費か暖房費か

  極限を生きるとは、どういうことだろうか。貧困や災害の映像などから考える。最近、ウクライナ情勢のせいで光熱費が世界的に上がっている。それも5倍だとかそれ以上だとか、ヨーロッパの国々の値上がりがすさまじい。イギリスで光熱費の高騰で「食事をとるか暖房費をとるか」と迫られているぐらい家計費を圧迫しているという。

 最初はぴんとこなかった。しかし、ユーチューブで札幌に住む人の動画で具体的に分かった気がした。その動画の概要は、「体調を崩して手取り月8万円まで減少。その中から家賃3万5千円を支払い、残り4万5千円。冬が来るまでは、何とかやりくりしていたが、今年の電気代の高騰で高騰で暖房費に3万円以上かかり、食費に2千円しかかけられず、毎日の食事は1日1食。腹持ちがいいから主食はドラッグストアで安売りしている5キロ1250円のお米。おかずは完全栄養食の卵一つ。あと業務スーパーで買ったお徳用パックのウインナー1本。目玉焼きとウインナー。時々、コンビニのカット野菜。その生活を3か月近く続けたところ体重が10キロ減った」というもの。

 食費についていろいろ考えた時期がある。人間どこまで食費を削れるか、を。自分の試算なら5千円。主食が米3キロと小麦粉2キロで1000円。タンパク質とミネラルがスキムミルクと納豆でまず1500円。野菜が人参4本と玉ねぎ4個とキャベツ1玉、青菜4束で1000円、コーヒーと調味料、卵で500円。めざし、もしくは鯖缶で500円。あと少しばかりの補てん。肉なのか嗜好品なのかわからないけれどそれで500円。これなら1年過ごせるかなと。もちろん、過ごしたくはないが。やっぱり、1万円ぐらいは最低欲しい。

 話は戻る。暖房費が食費を圧迫することがあるのだ。北海道の冬は厳しい。私の住んでいる関西では、日が上がっているうちは電気ひざ掛け、日が暮れるとさっさと布団にもぐりこむ生活なら月々500円済むだろう。しかし氷点下まで温度が下がる北海道では全体的に温めないと低体温からの凍死に至ってしまう。寒さが厳しいということはそういうことなのだ。断熱効果が乏しい築年数のボロアパート。オマケに暖房は電気のみという規約なら3万円かかってしまう。関西に住んでいる自分には想像のできないことだった。乏しい食べ物でも何日かは持つ。しかし、低体温では即刻、死につながることがある。

 

 昔、北海道で餓死した人の話があった。ひょっとして同じ状況だったのかもしれない。春になって暖房費がかからなくなったら食事にお金をかけることが出来る、そこまでの我慢と思って我慢していたら体のほうが我慢できずに死に至る。救えたかもしれない極限状況というものがありうると思う。

スシローに行った。

 昨日、子供が家に来たので久しぶりに近所のスシローに出かけた。俗にいうお醤油ペロペロ事件。高校生が醤油の瓶をなめた動画が分散された事件である。スシロー側はかんかん、損害賠償を求める民事訴訟を起こすと息巻いていた事件のあとはじめてきた。

 

 事件後の措置としてレーンに注文以外のお寿司は流していなかった。いつものように混んでいる時間を避けて夕方5時は半ごろ、入ると店内はいつもよりガラガラだった。週末でもないせいもあったかもしれない。昨年の値上げ以来初めてだ。(一度来たけれど10%オフをしていたので実質的には値段は変わらなかった)

 行きなれているから頼むものは決まっている。私の場合は鰻、エビアボカド、しめ鯖ただ、今回は家で宅配ピザのМサイズを食べておなかもできていたのでしめ鯖をやめてかんぱちとウニを頼んだ。以前、テレビでスシローはいいウニを仕入れているので提供する量が限られていると、言っていたがしっかり食べれた。なかなかおいしかった。子供もいつも食べるつぶ貝を食べていた。夫はお肉の乗ったものなどを食べる。

 

 回転ずしという文化もいつの間にやら定着したと思う。多分、バブル時代の頃から認知されていたと思う。元禄寿司というお寿司屋さんによく言ったと思う。一皿130円か170円ぐらい。でも昼時にお寿司を千円まででお腹いっぱい食べれるのは魅力的だった。そして、バブル崩壊した平成に入るとスシローやくら寿司などたくさんのお寿司屋さんが乱立した。平成生まれの子供たちとよく行った。選べる楽しみというものは良い。子供は食べる量も少ない。家族で3千円ぐらいで済んだ。

 

 私が子供の頃はお持ち帰り専門のお寿司屋さんがあり、母親がニチイに出かけたときにキュウリまき等を買ってくれていた。最近は回転ずしとスーパーのパック寿司に押されてお持ち帰り専門店は見かけない。お寿司はごちそうである。でもお持ち帰りといい、回転ずし、パック寿司など身近な値段で食べれるものもあり、それがささやかな家族のとの楽しみとオーバーラップする。

ブログを開設して1年経ちました

  ブログを開設してからなんだかんだで1年がたつ。最初はユーチューブで1年間、毎日ブログを更新していくと月に1万円ぐらい稼げるようになれるとの情報が流れていたので「よし、一つ金儲けでもするかのノリで始めた。

 もちろん、そんな甘い話はなく、大体アドセンス審査さえ、受けていない。毎日更新もしていない。ただ、なんやかんやで1年続いたのである。これは私としては奇跡といっていいだろう。はてなブログで始めたのも良かった。「ブログ」、人にも見てもらいたい雑記といった立ち位置で続けられる。はてなブログを開設しているメンバーもお金儲けより、私のようなニュアンスで続けている人が多いようだ。いろいろなグループがあることも知った。毎日、ブログを書いていこうというグループもあるようだ。

 

 ブログをはじめて良かったこと。目に見える効果はタッチタイピングが少し早くなったこと。今までキーボードを見ながらしか打てなかったのが、文字に関してはタッチタイピングが、できるようになったこと。記号や数字は少しおぼつかないが、あとはできるようになった。ZやPの文字に指がとどかないと言っていたのがウソのようだ.手が小さくても指は届く。悩んでいたのがウソのようだ。

 

 自分自身、良かったと思うこと。アクセスがあるとうれしい。1年の集計が130ほどだがどの記事が読まれているのか、出てくるのか楽しい。そして、雑記を書いているうちに自分の気持ちが整理されていくのも良い。我ながら名文だなあとニヤニヤすることもある。自己満足の世界だけれど。

 

 2年目は毎日、一つはブログを書きたいな。うまく書けて書けなくてもそれが自信になると思うから。

青谷梅林に出かけた

 昨日、青谷梅林に出かけた。京都府南部の城陽市にある梅林である。もともと、鎌倉末期には自生の梅林があり、江戸時代に淀藩から梅樹栽培の奨励を受け、盛んに栽培がおこなわれたといういわゆる果樹園である。

 果樹園の梅といえば南高梅の産地の和歌山県が有名である。「一目、一万本」という。テレビでも早春の風物詩としてよく放送されている。観賞用の梅林も良いが大量の花が咲く果樹園の梅は見事である。梅好きとしては憧れである。でも、和歌山県大阪府高槻市に住んでいる当方としては遠距離である。梅の季節はまだまだ寒い。下手に遠出して体調を崩すかもしれない。テレビで見るだけの世界だった。

 それが最近、京都にも梅の果樹園があることを知った。それが昨日に行った青谷梅林だった。和歌山の南高梅とは違う品種である「城州白」などが植えられている。20ヘクタールの面積。出荷高年間約90トンなかなかの規模である。是非、行きたくなった。2月25日から3月12日までの2週間、梅まつりがあるという。たまたま夫婦そろって2月28日が休みである。夫がこの冬に買ったコートもまだ着ていない。コートを着るいい機会である。ドライブがてら出かけることにした。

 

 高槻市からマップで調べると1時間弱で行けるようだ。距離的にも手頃だ。ユニクロに寄って春向きの白いカーディガンを買い梅まつりの会場の駐車場に11時半ごろについた。駐車場代二千円を払い、メイン会場に向かう。地元有志であろう駐車場の案内のおじさんは穏やかで親切だった。「今日は暖かくていいですね」と声をかけられた天気予報では3月下旬の気温、桜が咲き始めるころの気温である。駐車場から20分ほど梅林を歩き、メイン会場に向かった。今年の冬は寒かったせいか、まだ梅は咲き始め一分咲きといったところか。枝先にぽつぽつ咲いている程度だ。でも、「梅一輪、一輪ほどの暖かさ」という俳句があるように一分咲きでも青空に映える梅の花は美しい。来てよかったと思った。

 メイン会場でお約束の梅干を購入。農家の方がつけている梅干で小梅も普通ぐらいの大きさも大ぶり肉厚の梅もすべてグラム数による値段は同じ。小パック400円、大パック700円。迷わず肉厚の大きい梅の入った大パックを買った。大体10個ぐらい入っていた。そして昼食用にお赤飯とお茶、お団子を買った。梅干込みで2250円だった。ベンチでお赤飯を食べる。春の陽気の中で食べるご飯はおいしい。食べ終わって無料のゴザの貸し出しを見つけた。少し残念。梅の木の下で食べるともっと風情があっただろうにな。

 帰りも周回コースでハイキングがてら駐車場に戻る。完全な農道で里山の中に山の神としてご神木が祀られていたのも興味深い。また休憩所があり、たい焼きを食べた。ぶらぶらと歩く。駐車場には12時半についた。滞在時間1時間ぐらい、ちょうどいい感じだ。

 青谷梅林を後にして帰路に向かう。帰りにコメダ珈琲でアイスのウインナーコーヒーを飲む。2月なのにアイスコーヒーがおいしく感じるそんな暖かさだった。2時半に家に帰る。さっそく、買ってきた草餅、桜餅、三色団子をいただく。地元の和菓子屋さんのもので素朴でおいしかった。梅干も夕食時に食べた。本当においしかった。肉厚、塩辛くて酸っぱい。昔、祖母が作っていた梅干を思い出した。京都に住んでいた祖母、そして昭和の頃だ。祖母が使っていた梅は南高梅でなく、この梅だったのかも知れないと想いを巡らす。

 道端に、今年初のオオイヌノフグリの青い小さな花を見つけた。早春の素敵な一日だった。