ブログを始めて1か月

 気がつけばブロブを書き始めて1か月以上たった。それも毎日欠かさずに、である。飽き性の私としてはよく続いたものものだ。しかし最近はパソコンを打つのが少し面倒になってきている。
 子どもの頃、おもちゃを買ってもらった時のワクワクする気持ちは、消えつつある。そもそも、私のブログの方向性が間違っていた気がする。極論、私の書いているブログを読む人間なんていないだろう。中身は昭和の時代の昔語り。本人は思い出を懐かしんでいい気持ちになるが、そんなもの他人にとってどうでもいいことである。
 そして、これといったお得な情報も持ち合わせていない。この前、自分の好きなハイキングコースのことを書こうと思ってスマホで調べたら、同じコースを写真付きで載っていた。文章にも引かれた。トイレの場所や休憩場所までのタイムスケジュールもきちんと書いてある。面白くて実際に役に立つ。同じ内容でもこんな風に書かねばと思った。

 反対に全く写真もなく、思ったことをさらさら書き綴っている、一見愛想がないが内容と文章力でグイグイ人を引き付けるフミコフミオさんの様な人もいる。ちなみ、この方は文章読本も出しておられすごい人だが、中身もすごい。祖父の溺死,父親の自死、自分自身の交通事故など、嘆く感じでなく、その様な運命を背負ったものが、その運命を受け入れていくそんなブログだ。運命を背負う。非人間的な上司、ブラックな環境、巻き込まれ事故の様な左遷も、たまたま運が良かっただけと言って、粛々と這い上がっていく。胃薬を飲みながら、ノルマはきっちり上げていく。文章からは怜悧な人間が浮かび上がってくる。例えば明治維新の偉人、大久保利通のような。そりゃ読者も集まるだろう。

 果たして私は雑誌の様な楽しい読み物もフミコフミオさんの様に私小説風のブログもかけない。読まれない、ましてお金も稼げない。時間は1時間は取られる。人によっては2、3時間はかけている。ブログに大事な休息時間を使う価値はあるのだろうか。
 私は、深く考えないことにした。色々なやり方があると思う。まずはしょうもない内容でも3年間、千記事を目指す。比叡山の千日修行のように。そのために、キーボード入力をもっと速くする。内容は合間合間に考え、すきま時間にさっさと書き上げる。フミコフミオさんは仕事のお昼休憩の3、40分で書き上げるという。そんな神業はできないけど目標にはなる。

 まず3年。野球でいえば高校一年生。まずは基礎体力、ブログを書こう。いろいろ思うのはそれから。読者は自分一人、それでいいと思う。