ワープロ、その歴史

  ワープロのことを思い出していくと、私一個人だけでも色々な事があった。少し気になってワープロの歴史を調べる。パソコンで「コンピューター博物館・日本語ワードプロセッサー」というページを開くとワープロの歴史が詳しく出てくる。1979年の商品化の第一号のシャープの書院は295万円。私が簡易型で使い勝手が悪いとケチつけた製品も出始めた時の価格は驚くなかれ、何と119万8千円。私が購入した時より5,6年前の1982年の話。たった5,6年で価格が約40分の1まで下がっている。私の知ってる限りこの様なものはない。説明を読む。製品名「WⅮー1000」液晶表示41桁1行で、ペンタッチ方式のかな漢字文節変換。当初辞書は、ハードディスクに格納されていたが、rom化を行い変換スピードの向上を図った。また、標準価格は119万8000円と企業以外の専門ユーザー層にも手の届く価格となり、パーソナル層への普及の足がかりをつけた機種であった。

 やれやれ3万円で高い高いとわめいている自分とは随分と違うな。文字通り桁の違う話だ。他にもワープロで検索すると色々な記事が出てくる。ついでに和文タイプライターの歴史も調べる。こちらは大正生まれ。扱い方が煩雑なため大企業では専門のタイピストがいた。そもそも大きくて高価なものであった為、役所と行政書士事務所、大企業、学校ぐらいしかなかった。ゆえに扱える人は極めて少ない。印刷物は町の印刷屋さんにお願いしていたのだ。町役場では戸籍の作成には欠かせなく、ワープロが普及し始めても名前の旧字体などの関係で長らく使われたそうだ。また会社に簡易型のワープロしかなかった頃は慣れた和文タイプの方が速く正確に文書が作成できたので、ワープロより和文タイプを使用してという人もいた。調べるとなかなか興味深い話が出てくる。

 ただ不思議な事実に突き当たった。グリコ・森永の一連の脅迫文は、ワープロでなく和文タイプ、日本タイプ社の「パンライター」が使われていた。とある。【1915年誕生「和文タイプライター」はいまだ現役だった!】という記事の取材の中で「グリコ・森永事件のとき、ウチでもすぐ、どんな機械で打ったかは分かった。活字の書体などですぐに分かったな。あと、ウチにも何度か警察は来たよ。」と和文タイプ販売をされている方が言っておられた。じゃあ何故私のところにも刑事さんが訪ねてこられたのだろう。同じ時に同じ型のワープロを買った友人も刑事さんが訪ねてこられた、と言っていた。何枚かの脅迫文の1枚に私と同じワープロを使っていたのだろうか。

  とにかくワープロはゲーム機のように専門機として生きる残ることもなく、汎用性の高いパソコンに組み込まれ高度経済成長期、バブル期を疾走していった。