2022年を振り返って

 2022年は物欲にまみれた年だった。とにかく欲しいものを買う。あと3年もすれば還暦である。少しばかり家の中も整えたかった。電化製品やワゴン、カーテンなどの生活用品。洋服、眼鏡、カバンなどの身に着けるもの。躊躇するなら買うを繰り返した。

 

 羅列するときりがない。タブレット型パソコンも買った。前年度に比べて50万円は使った。買うときに躊躇や罪悪感がないのは気持ちがいい。そして頭の中は常に「次は何を買おうかな」ということばかりだ。2階のこたつはどれにしようか、こたつを買えば、食洗機をどれにするか、その次はタブレット型パソコン、トレンチコートなどなど。

 

 根っからの貧乏性な私は、買うことに罪悪感を感じるタイプだ。物心ついたころから上の兄弟の妬みがすごかったのもあるかもしれない。私が少しでもいいものを持っていればつぶしまくるのである。おもちゃに財布、つぶされたものは数知れず。そして30分でも1時間でもずるいずるいとわめき倒す。あれは異常な世界だったな。親もだんだん買ってくれなくなるし。本当になんだか所有欲が無くなる体験だった。

 

 でもおととしに父が亡くなった。母も早くに亡くなっている。もう煩わしい兄弟に合うこともない。向こうも私の態度に怒っている節があるようだが、まあいい。とにかくストッパーが外れたように買いまくった。それも今まで買う基準が1番安いものだった。還暦近くになっても子供の頃がよみがえる。深層心理とは恐ろしいものだ。いかにお金がかかっていませんかをアピールする買い物。なんでこんな奴隷根性が抜けきれなかったのだろう。我ながら情けない。

 父のことも好きだとは言い切れなかった2018年の北大阪大震災と大型台風とつづけさまに死に直面するような災害にあった時の日記に一言「一番捨てたいのは親兄弟」なぜこんな一文が記してあったのかわからない。遺書がわりとすれば、どれだけ彼らに苦しめられてきたのかと思う。そして1周忌以後彼らに会ってないしこれからも会う気はない。

 

 やれやれ、ネガティブおばさんの愚痴が始まった。で、建立した名前に長男の名前の書かれた両親の入る墓の費用に4等分50万円しっかり払わされて、それっきり。まあ、そういう奴らだ。今までのことを思い出してもはらわたが煮えくり返る。

 

 本題戻る。とにかく、選択理由が安いもでもなく、一番欲しいものにシフトした。まず、こたつ。最初はリサイクルショップでよいかと思って店をのぞいたのだがなかったので若い子向けの家具や生活雑貨を売っている店で15000円のおしゃれなデザインのこたつを買った。この時は「リサイクルショップで買ったら5000円ほどで済んだのに」との罪悪感があった。どれだけトラウマやねん。でも、それだけいじめられたんだ。漫画のアサリちゃんといいとこ勝負だ。でも、めっちゃ欲しものを買う快感は私の心に火をつけた。そして前述したように怒涛の買い物が始まった。

 

 そして2022年。今までになくストレスフリーな年だった。旅先のおみくじにも枯れ木も春に花が咲くようにあなたの人生も少しずつ良くなるという内容が書かれていた。本当にそうなりつつある。最低限、持ち物に関しては、そして2023年は実生活に関しても枯れ木からの脱出と生きたいところだ。