春宵値千金

 スマホを持つまで、若者が一日中スマホをいじっていたり、格安スマホが出る前は携帯本体の分割料金込みで、毎月一万円近くお金を払っている事も理解できなかった。時間もお金もスマホに捧げて、今の若者は何をもったいない事をしているのだ。世間のいわゆる識者という方々と同じ意見だった。電車の中でも、マクドナルドでも若者という若者がスマホをいじくりまわしている。何が楽しいのだろうと思っていた。

 しかし、スマホを持ってみて意見が変わった。魅力的なのである。まず、大きさがコンパクトである。持ち運べるのに、調べ物をしたり、ユーチューブを見る。音楽を聴く。友達とラインをする。ニュースを見る。ネットフリックスに入っていれば映画を見ることもできるし、漫画も何かサブスクに入れば読むこともできる。そうだ買い物もできる。書いていて少し怖くなった。本当にこんなに小さな機械であらゆる事ができる。アプリを上手く使えば、もっと出来ることが増えるだろう。スマホの機能を他の物に変えてみると50万円以上価値があると聞いたことがある。テレビ電話、カメラ、電卓、辞書、テレビ、ビデオ、すべての機能を20年前の暮らしの道具に換算したら、そうなるだろう。(だいたいテレビ電話など家庭になかったではないか)

 私も台所仕事の時は音楽を聴く。家計簿を付ける時は電卓機能を使う(入力した数字が表示され打ち間違えを確認できるのだ。それに打つと音が出るのも楽しい)散歩に出かけた時に満開の桜を写した。初めて行く場所の地図を調べる。行先まで何分まで表示してくれる。持ってなかった時は何とも思ってなかったが、この便利さ。もうガラケー携帯には戻れない。

 坂田靖子さんの描かれた「バジル氏の優雅な生活」という漫画がある。19世 

紀末ビクトリア朝のロンドンに住む有閑貴族バジル・ウォーレン卿が引き起こす、もしくは見聞する不思議で、おしゃれな世界なのだ。その中で、昭和59年のララ5月増刊号に掲載されていた「春宵値千金」という話がある。最後に「春の宵は―ためらいながらゆっくりと すぎてゆく 甘い花のかおりと月の光をのせて (次のページにをめくる)それに もしかしたら また、いつか 彼は 夢に見るかもしれない ゆうべの幸福な春の宵を」で、締めくくる楽しい美しい話だ。

 読み返して、春宵値千金の意味を深く知りたくなった。スマホで調べる。うすうす思っていたが、やはり漢詩の中の一節だった。春の宵の素晴らしさを朗々と読む。丁寧な説明があった。そして、「春宵一刻値千金とはまさに今」という言葉が出てきた。そして気象の説明が出てくる。そうだ、これはウェザーニュース載せた記事なのだ。夢物語と今、私が味わっている春の宵心地のよさは同じものだ。私はこの瞬間をより幸福なものに思えた。