ジーパンも好き

 子供のころ、いわゆるヒッピースタイルの服装に憧れた。チューリップハットにTシャツ、ジーンズの格好だ。今から思うと既存のファッションでない斬新知れないったからかもな世界だったからかも知れない。

 今の私からは信じられないだろうが母親の生きている頃はおしゃれだった。母親が洋裁が好きで手作りでちょうちん袖のワンピースや刺繍の入ったカーディガンなどを作ってくれていたせいかもしれない。
 人のせいにしてはいけないが、父親はとにかく事あるごとに金がないが口癖でお金をもらうのが苦痛でおさがりばかりで過ごしていたと思う。(今から考えると父親は自分の小遣いは人並み以上に使っていたのだが)そうなると何を着たいなど考え始めると自分がみじめになる。「ぼろを着てても心は錦」などを心の中でつぶやいていた気がする。唯一Tシャツは安い買い物なのでどれを選ぶかという楽しみがあったと思う。

 それに姉のひがみもひどかった。自分が買ってもらえなかったものを私が身に着けていると「私はそのころ買ってもらえなかったのに」とぐずぐず言い出す。あれを聞くとなんだか楽しみが半減する。身に着ける楽しみよりぐずぐず言われる不快感のほうがすごいのだ。

 

 長くなった。自分をなかなか押し殺しているな。もう何十年前のことだが不愉快感は残っ兄弟というものは親の愛情の奪い合いの生き物だからな。巣の中のひなと同じだ。餌を食べられなかった時点で終わりだ。特に私の兄弟はひどかったな。まるで奴隷と同じだ。

 

 ヒッピースタイルのアイテムのジーパン。これは小学3年生になってやっと買ってもらった。うれしかった。それを着ながらどんな格好が似あうのかいろいろ考えるのが楽しみだった。

 

 現在、ジーパンは着心地のいい普段着というくくりで、生協で販売しているおばさん向けの少しふっくら体型のペラペラの生地のものを愛用している。エドウィンユニクロジーパンもはいてみたがエドウィンは生地がしっかりしている分重いし、ユニクロは細身向けでどちらもおばさんになった私には窮屈だった。

 結果的には2000円のものを毎年2着買って着つぶしているのだが、ジーパンはそもそもが作業着から発展したものである。これでいいのかもしれない。そして安価なものをはいているがジーパンが好きなことには変わりがない。