高校とか実家とか

 この前に奈良県信貴山のどか村に出かけた。この時生駒市の壱分町の前を通った。生駒高校のあるところだ。自分の通った高校だ。学校の校風は良かったなと思う。もし親、家族が否定的言い方をしなければ。
 人間が優しかったな。と思う。今から思えば。反対に家族はひどかったと思う。だいたい殺人以外は、法律は通用しないという親がどこにいるだろう。殴られても仕方ないということか。あの言葉が今でも忘れられない。本当に犬畜生な家だ。人間の一番求められることは何だろうか。私は、人間関係においてはやはり「あなたのことが分かっていること。そしてわかったうえで援助やカバーをしてくれる人」が魅力的だ。お互いにその関係があるといいなと思うがなかなかそのようにはいかない。
 地震の時につくづく実感した。自分の兄弟は3人いるのに何か困ったことはないか。水やカセットガスがあるか、と聞いてくれるものは誰も居なかった。叔父の二人からは大丈夫かの言葉があったのに。地震の起こる1か月前に会っているのに、だ。
 なんだかむなしくなる。それまででも父親のことで色々動き回ったのにこのざまか。テレビのニュースになるぐらいの地震など一生のうちに一回遭遇するかしないかである。大丈夫か、何かできることはないかと言うのが兄弟だろう。子供が別所帯で暮らしているのだから、家に転がり来られるわけでもないのに。本当にむなしい。
 阪神淡路大震災の時に「震災にあうと人生観が変わる」と聞いたことがある本当にその通りだ。こんな非常時にくその役にも立たない人間関係なんて本当に捨ててしまいたい。と思った。
 考えれば夫が心筋梗塞で死にかかった時も子どもが引きこもりになった時も夫が借金を作った時も病院で入院を打診されるぐらい重いうつ病を患った時も何か力になるという態度はなかった。
 考えてみれば母親が長期入院した時の親族の態度もひどかったな。50年前、今よりもっと人間関係が濃い時代だ。母親が死のうとしている子どもの世話をすることがなぜできなかったのだろう。誰かがしてくれるだろう。それで逃げたな。そしたら全員が逃げたわけだ。皆で協議することはなかったのだ。

 高校の話をするつもりが嫌なことを思い出した。それに比べて今から思うと高校の校風はよかった。そのことはまた後で書こうと思う。