もし英語を自由に使えたら何する?

 「英語が自由に使えたら何をする?」このお題を見た時、私は愕然とした。当方57歳。還暦まであと3年のカウントダウンの私の答えは「別に要らんわ。くれるなら他の才能をくれ。例えばパソコンをもっと自由に使いこなす能力や社交性、家事を手早くこなす能力、その様な人より物凄く劣っている能力を人並みにして欲しい」

 ウルフルズの曲名じゃないけれど、これが答えなのだ。学生時代は英語ペラペラの人に憧れた。英語が喋れたら世界の人と喋れる。ユースホステルで色々な人と語り合い楽しいひと時を過ごす。海外旅行に出掛けて、一人でお店に入ってみる。

 まだ、海外旅行といえば、お金持ちが新婚旅行でハワイに行くぐらいだった昭和50年頃、叔父がパックツアーでアメリカ旅行に出掛けた。叔父は独身時代が長かったから、たぶんなどをボーナスを貯めていたのだろう。。お正月に親戚で集まった時、叔父はお土産を渡しながら嬉々として、旅行の話をしていた。私はその頃、小学生だった。色々な話をしていた中で、「アメリカについて、初めて買った買い物はチェリーパイだった。飛行機を降りて何か食べたかったのでお店に並んだ。どうすればいいのか分からなくて取りあえず、前の人と同じことをすれば間違いがないだろうと思って、前の人がチェリーパイと言ったので、同じ様にチェリーパイと言って買ったんだ」
 この旅行のために必死で英会話を勉強したのだろう、流暢な発音でチェリーパイと言った。少しおどけた顔をしながら。まだ小中学生だった甥っ子姪っ子は、その話に食いついた。「私、チェリーパイなんて見たことも食べたこともないけどおいしいかった?」「もし、前の人がおじさんの嫌いな食べ物を注文しても、それを頼んだ?」質問攻めである。叔父はニコニコしながら答えていた。おいしかった、嫌いな食べ物でも頼んだよ。だって買い方を知らないんだから。
 叔父の話を聞いていた甥っ子姪っ子達は、私を含めて皆、一生懸命に英語を勉強しておじさんの様な素敵な体験をしてみたいと思っただろう。現に先日違う叔父が70歳で亡くなった時、お通夜でその話が出て、英語が得意で中学校の英語教師になった姉が「おじさんのアメリカ旅行の話が英語が好きになった一つのきっかけになりました」と言っていた。ちなみに姉も独身時代は海外旅行によく出掛けていた。
 考えてみれば、叔父が旅行に行った昭和50年頃は、まだ大人たちが普通に舶来品の香水とか話していた時代だった。まだまだアメリカやヨーロッパは憧れの土地だった。数年前に開かれた大阪万博が大賑わいだったのもわかる。

 お題が未来のことを語ろうというのに昔語りをしてしまった。昔の方が英語ができるメリットは大きかっただろう。今ではたぶん、チェリーパイもさくらんぼうの季節になれば探せばケーキ屋さんに売っているだろう。英語が使えなくても、英語の翻訳機があるし。ビジネスの道具としてはますます重要になるが、姉のようにまるで夢の国にいくパスポートの様な気持ちは段々少なくなっているだろうな。

 思いきりお題から外れた。お題に戻れば、英語が出来れば海外から来たいわゆるインバウンド客に折り紙の説明がしたい。昔、電車に乗り合わせた外国の人に折鶴を折って渡したら大いに喜ばれた。1枚の紙が段々形になっていく様子に興味深々だった。この時、私のした説明が「バード」の一言だけ。鶴の単語さえ出てこなかった。あの時はもう少し英語で折り鶴について説明できればと思った。あの時の出会った人の笑顔を思い出しながら。