久しぶりに書店で雑誌を買う

 昨日、久しぶりに雑誌を本屋さんで買った。本屋さんに行くのも久しぶりだ。雑誌は計3冊買った。本命は男性向き趣味教養の雑誌サライ。あとは日本の妖怪と幽霊大全というムック本。そして家庭雑誌として、これもムック本の範疇に入るのだが、家計を助ける安くてよいものBESTという本。三千円余りの出費だった。

 

 でも気分はいい。サライは日本漫画は大人の教養という特集で子供の頃、よく読んでいた漫画の作者のことがいろいろな角度から書かれていて面白かった。特に有名人の漫画を語る熱量がすごかった。私も漫画大好き人間だから幸福感の共有ができてうれしかった。また尊敬すべき水木しげる先生の生まれ故郷の境港や漫画家生活を過ごされた調布市のことが書かれていて興味深かった。是非、どちらも訪ねてみたいと思った。

 あともう一つの特集のステーキは「和牛」に限るも面白かった。2万円もステーキ。「血も滴るビーフステーキ」という言葉があったが、その言葉を思い出してしまうような異次元的高級感にあふれていた。2万円か。1万円のステーキは、もしかして食べる機会があるかもしれないが、2万円のステーキはたぶんないだろうな。

 付録は鉄道開業150周年として旅する人の肩掛けバッグ青色に肩ひもが黒の小ぶりな布製バッグ。スタンプでたどる鉄道旅の時代、という特集に連動してポイントに鉄道開通100周年の時のスタンプがプリントしてあり、それがいい味を出しているもちろん安物感は否めないが、それも付録のだいご味。昔リボンの付録を手にしたような感覚がよみがえる。既製品に比べるとチープなのだが、この付録にしかないデザイン、リボンでいうとお気に入りの漫画家が描くイラストにときめくような感じ。このバッグでいうとスタンプ。昔、万博のスタンプを集めていたこともあってスタンプ柄がうれしい。

 

 最近、ユーチューブでばかり情報を得ていた。ユーチューブは便利で楽しい。しかもタダ。だが見返す、見比べる、必要な部分を瞬時にみると雑誌や書籍の方がいい。ユーチューブを楽しみつつも雑誌も楽しみたいな。

堤防の花。夏の雀。

 日々の通勤で堤防を自転車で通る。堤防は車両進入禁止、通れるのは歩く人と自転車のみである。車の往来を気にしなくてもよい。たった10分足らずの道のりだが両脇は草むらに囲まれ、ちょっとした自然を感じることができるサイクリングである。

 四季の移ろいも感じる。今までのブログで春先の花や秋の七草のことを書いた。春や秋のことを書いていると夏のことも書きたくなった。夏に咲く花、一番特徴的なのは月見草だ。背丈が割合に高く、黄色い花が咲く。この花が咲き始めると夏休みの到来である。それから朝顔も咲く。園芸品種の青い花がほかの雑草に絡まって咲いている。鉢植えのものに比べると本当に小さいのだがきれいに咲いている。青い色といえばツユクサも咲いている。この花は昔、染料に使われていたらしい。今でも趣味の草木染に用いられているようだ。一度、試してみたいと思う。

  

 花ではないが、夏になると楽しみな光景がある。背が1メートル以上に伸びた夏草に雀が留まってのだ。なぜ、そんなところに留まっているのかわからない。細い茎につかまりながらゆらゆらと揺れている。

 

 夏の通勤は汗だくだくになり、春や秋ほど快適ではない。しかし、ところどころに季節の美しさを感じることができる。

 

 

堤防の花。秋の七草

 久しぶりにパートに出た。三日ぶりだ。9月に入って初めての出勤だ。帰り道の堤防で萩の花が咲いているのを見つけた。秋の七草にも入っている小さなかわいい花だ。堤防で自生している花は普段は雑草として分類される。園芸種でないという意味でだ。 

 でも花の時期になると花壇に咲く花ような派手さはないが可憐なかわいい花を咲かしてくれる。春にもブログで堤防の花として書いた。読み返してみるといろいろな花があることに気付いた。そして秋になるとまず萩の花が咲き始める。今年もそうだ。大体9月の声と共に咲き始める。日当たりのいい場所からポツンと咲いてだんだん堤防の両脇を薄紫色の小さな花で埋め尽くす。

 そして萩の花が満開を迎えると次に葛の花が咲き始める。これも秋の七草のひとつに数えられる。大ぶりの濃いめの赤紫色の花だ。子供のころに住んでいたところにも咲いていてブドウの花みたいと話していたのを思い出す。

 

 花だけではない。お盆を過ぎると草むらの中から虫の声が聞こえてくる。コオロギなどの類だろう。大体10分間ぐらいの自転車をこぎながら虫の音に耳を傾ける。虫の音サイクリングか。おつなものである。ちょうど中秋の名月の日に残業で遅くなり月を愛でながら自転車をこいだこともある。遮るものがなくずっと横目で月を追いかけながら自転車をこいでいた。それも素敵な思い出だ。

 

 雨の日の通勤はレインコートに雨靴と大変な思いをしなければならないが、それを除くとなかなか愉しい通勤である。

食欲コントロール講座のユーチューブを見つけた

  今、ダイエットをして居る。何回目のチャレンジやねん。と心の中でつぶやいているのだが、今度は勝算あり、と踏んでいる。強い味方ができたのだ。食欲コントロールダイエット講座というユーチューブチャンネルを見つけた。

 

 「もう、無理なダイエットで我慢するのは止めましょう」の声掛けからは始まる。巷ではやる、プチ断食や糖質制限、置き換えダイエットなど、つらい思いをしながら短期間で体重を減らすのではなく、規則正しい生活と腹八分目の食事を習慣づけることによって基本体重に戻そう、10㎏瘦せるのにゆっくり1年かけよう、そしてその食生活を維持していこうというものだ。まさしく王道である。

 

 この方法、もう5年以上前になるが一度、健康診断に引っかかり、栄養指導を受けた内容としてほぼ同じである。この時は実に丁寧に指導された。日常生活と食事内容の聞き取り。それに対しての改善内容の指摘私の改善すべきところは、あまりにも炭水化物とお菓子の取りすぎ、そして普段の仕事内容に対して休みの日の活動量が少ないこと。

 具体的にはご飯のおかわりをしない。家に帰ってすぐにお菓子、夫が帰ってすぐにお菓子を食べる時に自分もお菓子、ご飯を食べ終わってまたお菓子と一日に3回も食べているのを1回に減らすこと。休みの日にきっちり家事をやり、余裕があればウオーキングや水泳をする。目標は一か月500g、半年で標準体重に戻そうというものだった。指導内容を瘦せているパート仲間に言うと、それは当たり前の生活で、むしろなぜあなたはその生活をしてこなかったのか、とあきれられた。

 

 この方法は何回も試みたことがある。市販のダイエットノートに記入することを約半年続けて5㎏瘦せて標準体重に戻したこともある。この時は健康診断の結果も良好だった。標準体重になると健康状態も良くなることが身をもって体験したのだ。

 ただ続かない。食欲が戻ってしまうのだ。はっきり言って、この時は57キロ以上は2か月たっても減らなかった。焦って豆腐やリンゴばかりという極端なカロリー制限に走った挙句に挫折した。反省面としては体重が57キロでも標準体重だからこれで良し。この体重を維持しながら運動で筋肉をつけようとするのが正解だった。

 

 今度は気長に規則正しい生活、腹八分目ストレス解消は食べること以外でを心掛けて永遠の標準体重にしたい。一年後、無理せずに標準体重を維持している自分を想像しつつ。

デジタル放送開始の想い出

 我が家にケーブルテレビが来たのは、2011年のことだった。2011年、そうアナログ放送が終わり、デジタル放送に変わった年だ。今までのテレビでは見れない。新しいデジタル放送対応のテレビに買い替えるかもしくはデジタル放送向けのチューナーを買うかのどちらかの選択をしなければならなかった。そしてデジタル用のアンテナをつけるか、もしくはケーブルテレビに加入しなければならなかった。

 どちらにしてもお金がかかる。当時がひょっとして一番、お金に困っていた時かもしれない。いらぬ出費に頭を悩ませていた。アンテナは初期費用に5万円かかる。ケーブルテレビは毎月の料金がかかる。チューナー機器は5千円で済むがもうその時点で使っていたテレビは1買ってから10年近くたっていた。買い替えも近い。買い替えるとチューナー機器は完全なムダ金になる。悩ましかった。手元のお金は乏しい。何が正解なのか。頭の中はそのことでいっぱいだった。

 結局のところ、ケーブルテレビが工事費無料キャンペーンを実施していた。そして半年間はケーブルテレビの加入者はチューナー機器をつけなくてもテレビが見れるらしい。これならば初期費用は抑えられる。デジタル放送が始まる前にケーブルテレビの工事をしてもらった。電話もケーブルテレビとセットで入った。高槻ケーブルという高槻市も関連している会社だった。デジタル移行時には必要だったのかもしれないであろう会社だった。

 

 ケーブルテレビに加入すると普段は月々3千円かかるというケーブルテレビのオプション番組が半年間で見れるというサービスがついていた。半年過ぎると月々3千円支払うか、やめるかの選択をして欲しいとのことだった。

 こうやって我が家もケーブルテレビの番組を見るようになった。夫は映画に車関係、そしてスポーツ関係と、好みの番組満載で夢中になった。

 特にその時に流行っていた歌が私の好みに合っていた。一番好きだったのがバンプオブチキンの天体観測。そしてバックナンバーの隣の花子さん。少し切ないような青臭いような感じが好きだった。ほかにも西野カナのトリセツやゴールデンボンバーの曲など聞くのが楽しみだった。

 

 あれからもう10年以上たつ。テレビは半年後にデジタル向けの26インチの液晶テレビを買った。もう少し大きくてもよかったのだが6畳間に合う大きさということでこの大きさにした。3万7千円ほどで購入した。ケーブルテレビのオプション番組はそのまま見ることにした。

 今はそれに加えてネットフリックスにも加入している。今年に入ってからだが、夫は毎日のように見ている。私は今まで見たかった砂の器若草物語山崎努主演の長いお別れを見た。どれもいい映画だった。昨日はバックナンバーのコンサートのフィルムを見た。10年以上たっても彼らの歌は素敵だった。彼らの歌を聞きながら彼らの歌を知るきっかけとなったデジタル放送開始の頃を思い出した。

 

 

 

防災記念日

  昨日は防災記念日だった。未曾有の被害をもたらした関東大地震の起こった日である。「地震、雷、火事、親父」と子供のころ言われたが、世の中で一番、怖いものとされる地震の怖さはわからなかった。地震で少しばかり揺れても怖いというより、むしろ非日常的な楽しさ、まるで虹を見かけたような気分だった。

 本当に地震が怖いと思ったのは、阪神淡路大震災からだ。あの時は本当に怖いと思った。まず寝床で感じた激しい揺れ、とにかく怖かった。思わず子供の上におおいかぶさった。地震はすぐに収まった。その日は高熱が出ていた。寝返りも打てないぐらいつらかった。夕方になってやっと病院にいった。その時、見たテレビでことの重大さがわかった。建物が崩壊している。火災も起こっている。恐ろしい光景だった。だんだん死者の数がテレビや新聞で発表される。当時、その後ずっとニュースは地震のことばかりだった。人がこんなに簡単に死ぬなんて自然の怖さをつくづく感じた。

 そして4年前、自分自身も被災した。大阪北部大震災だ。あの時はパート先に向かう途中で、自転車に乗っていた。地面からの揺れというよりも電線の揺れが気になった。民家のブロック塀が倒れていた。それでもまだピンとこなかった。会社に行くと門の前に人だかりができていた。その時に初めて地震であることを知らされた。家に戻ると家の中は散乱していた。靴箱は崩壊。仏壇はずれている。観音開きの食器棚からはカレー皿とお気に入りの金魚の柄の鉢が飛び出し割れていた。

 まさか自分が地震に会うなんて。亡くなった人もいた。高槻市内はところによりガスが止まったり、断水もあった。我が家も3日ほどきれいな水が出なかった。コープこうべ買っていた防災用の5年間保存可能の水が役立った。なにげなく防災関連の特集で目に付いたので購入したのだが、これのおかげで給水所にいくこともなかった。

 自分自身はそれほどの被害はなかったのだが、余震の揺れの間はまた地震が起こるのかという恐怖におびえていたし精神的な疲れもひどかった。地震の後の取材のヘリコプターの音が煩わしかった。何日も続いた。その度に恐怖心がよみがえった。

 

 備えあれば憂いなし。関東大震災の後に高浜虚子が唱えた言葉である。憂いが無くなるわけでもないが少しは軽減される。日頃から気を付けなければならないと思う。また来るかもしれない。「災害は忘れたころにやってくる」という言葉ある。

予防接種の副作用

 好事魔多しとはこのことか。コロナ予防接種の副作用で体調が悪い。金曜日の夕方に予防注射を打ち、その後は何事もなく帰り道に天下一品で屋台風というあっさりしたスープだがチャーシューをトッピングしたラーメンをおいしく食べていたのだが、次の日からはいけない。なんと高熱が出てしまったのだ。

 朝から食欲もない。こんな高熱で苦しむのは阪神大震災の日に40度の高熱を出して以来である。3日間ほとんどご飯が食べれず、結局3キロ体重が減った。もちろん体のむくみの分だと思うがこんな急激な減り方は三浦祐太朗のコンサートを見に行って以来だ。あの時は楽しくて興奮したのと単純な肉体的疲労のために3キロ体重が減り、そのあとも腹八分目を心掛けて半年でトータル6キロ減、平均体重の57キロまでこぎつけたのだが。

 

 思うこと。やはり健康がなければ時間とお金があっても駄目だということ。そしてせっかく表面上は体重が減ったのだから食生活を改善して1年かけて平均体重にする。やはり平均体重になることとその維持は無駄な食欲のコントロールからだ。ちなみに57キロの時の会社の健康診断の結果は10数年受けた中で唯一の問題なしだった。体重と健康の関係を侮ってはいけない。