防災記念日

  昨日は防災記念日だった。未曾有の被害をもたらした関東大地震の起こった日である。「地震、雷、火事、親父」と子供のころ言われたが、世の中で一番、怖いものとされる地震の怖さはわからなかった。地震で少しばかり揺れても怖いというより、むしろ非日常的な楽しさ、まるで虹を見かけたような気分だった。

 本当に地震が怖いと思ったのは、阪神淡路大震災からだ。あの時は本当に怖いと思った。まず寝床で感じた激しい揺れ、とにかく怖かった。思わず子供の上におおいかぶさった。地震はすぐに収まった。その日は高熱が出ていた。寝返りも打てないぐらいつらかった。夕方になってやっと病院にいった。その時、見たテレビでことの重大さがわかった。建物が崩壊している。火災も起こっている。恐ろしい光景だった。だんだん死者の数がテレビや新聞で発表される。当時、その後ずっとニュースは地震のことばかりだった。人がこんなに簡単に死ぬなんて自然の怖さをつくづく感じた。

 そして4年前、自分自身も被災した。大阪北部大震災だ。あの時はパート先に向かう途中で、自転車に乗っていた。地面からの揺れというよりも電線の揺れが気になった。民家のブロック塀が倒れていた。それでもまだピンとこなかった。会社に行くと門の前に人だかりができていた。その時に初めて地震であることを知らされた。家に戻ると家の中は散乱していた。靴箱は崩壊。仏壇はずれている。観音開きの食器棚からはカレー皿とお気に入りの金魚の柄の鉢が飛び出し割れていた。

 まさか自分が地震に会うなんて。亡くなった人もいた。高槻市内はところによりガスが止まったり、断水もあった。我が家も3日ほどきれいな水が出なかった。コープこうべ買っていた防災用の5年間保存可能の水が役立った。なにげなく防災関連の特集で目に付いたので購入したのだが、これのおかげで給水所にいくこともなかった。

 自分自身はそれほどの被害はなかったのだが、余震の揺れの間はまた地震が起こるのかという恐怖におびえていたし精神的な疲れもひどかった。地震の後の取材のヘリコプターの音が煩わしかった。何日も続いた。その度に恐怖心がよみがえった。

 

 備えあれば憂いなし。関東大震災の後に高浜虚子が唱えた言葉である。憂いが無くなるわけでもないが少しは軽減される。日頃から気を付けなければならないと思う。また来るかもしれない。「災害は忘れたころにやってくる」という言葉ある。