ワープロの勉強始めました

ワープロ教室に通ってからもう正確にいうと35年ぐらいたつか。さすがに思い出そうとしても詳細は思い出せない。初級コースの最終目標は簡単な社内文書の作成や回覧板の作成ができることだった。これは現代のパソコンのワードの基本編と変わらない。ただ小学校時代は学校からのお便りはガリ版印刷(要するに手書きのものを先生が自ら生徒の人数分を輪転機をまわして刷っていたのだ)活字というものは業者に頼まなければならないお金のかかるものだ。高校時代、文芸部で発行した雑誌も業者にお願いした。確か30ページほどの冊子で5万円ぐらいかかったと思う。かなり大昔の話だが文学少年だった父親が学生時代に友人と発行した同人誌も手書き印刷である。『活字印刷が自分の手でできるのだ』という喜び。この気持ちは小学校の授業でパソコンの文字入力を習った世代にはわからないだろう。

 

テキストに従って勉強を進めていった。まずは文字の変換。ローマ字入力か、ひらがな入力かどちらで勉強するか選択かだ。どちらでもいいよと言いながら『覚える文字数がアルファベットだと約半分で済みますから』と誘導されてローマ字選択。一応、ひらがな入力の選択肢があるのが時代だな。ローマ字で単語を打つ。そして変換、これを何回も繰り返し、最後に自分で打ったものを自分で用紙をセットし印字キーを押して印刷する。ギイギイと音をたてて印刷されていく。家にある簡易型のものとは違いいったん画面で羅列したものが印字されるのを見るのは何か不思議な、でも楽しい感覚だった。その日はそれで終わりだった。次からは、!や%などシフトキーを押しながら入力する文字の練習、そして単語の入力のやり方を覚えると次からは実際の文書作り。会社の年月日表示のあるお便りの作成や回覧板の作成。まず全ての文字を入力してからレイアウトを構築していく。文字を拡大したり、行間を開けたり、左寄せとかいうやり方で1行全てを動かす。その様な見たことも聞いたこともないやり方で活字文書が業者に頼まずに素人ができる。テレビでは見て知っていたが目の前で見ると、また違った感慨があった。そろばんしかなかった頃に電卓が出た時もこんな感覚だろうか。

昭和も終わりに近づきつつあるその頃、若い時、赤紙がきて徴兵された経験を持ち定年退職後、勤めにきていた大正生まれのおじさんは、『何だか電卓が便利で正確なのはわかっているが僕はそろばんの方が性にあっている』といってそろばんを使っていたっけ。私がワープロを習いに行っていた時代、今バブル時代と振り返られる時代はそんな時代でもあった。そして、その頃は私も20代だった。